前回は私のプログラミング教育のキャリアについて書きました。
今日プログラミングができるようになった経緯についてお話したいと思います。
プログラミングを最初に習ったのは大学2年生の時です。
文系の大学で管理科学科というコンピュータのプログラミング学科を持っていた小樽商科大学は、その時は分かりませんでしたが当時としてはかなり時代の先端を行く学校だったと思います。
同じ学科を持つのは今でもそうですが、県立神戸商科大学(現兵庫県立大学)ぐらいでした。
講義は『計算機論 Ⅰ』という科目で早稲田の理工出身の若杉助教授で、この授業が分からなかったのです。。
結局、土地バブル崩壊前まで事務系・金融系のATMシステムなどを作るのに主流だったCOBOL言語の上級レベルまでマスターできたのは高校教員になって2年目の時でした。
ここまでの詳しい経緯はこちらの投稿記事をご覧ください。
最初にわからなかった経験が教えるのに生きている!
よく言われることだと思うのですが、人間万事塞翁が馬で、どんな分野でも何の苦労もなくマスタした人より、苦労して身に着けた人の方が指導者に向いているといわれますが、その通りだと思います。
苦労した経験があると、どこでつまづくのかが分かりますし、どういう手順・カリキュラムでわかるようになるかが手に取るようにわかるわけです。
ですから、後はそれをカリキュラムにすれば良いのです。
例えば初心者用のBASIC言語。
私はBASIC言語を学んで一気にプログラミングが得意になっていきましたので、札幌WEBプログラミングスクールの小中学生コースのプログラミングは私が学んだM86BASICをまず導入で学んでもらっています。
また札プロの特徴であるプログラムの設計図である流れ図=フローチャートの重視も、元はといえば高校教員時代に受講した北海道情報処理教育センターの『COBOL 上級』研修での授業内容が出発点になっています。
教育に関してもどの学校やスクールでも順風満帆だった訳ではないです。
最近はリーマンショックの影響か、挫折や苦労から這い上がってきた人間のストーリーがセルフ・ブランディングで受けるようですが、私が話さないのは、私は自分の過去や人生・プライベートについて書くことがとにかく嫌いだからです。
苦労話なら3日間話続けられますが、とにかく話したくないし思い出したくないです。
ですから今回のシリーズの記事もスクール経営の上でどうしても話す必要があると思うからやむなく書いていることをご理解いただければと思います。