前回は私がどうやってプログラミングをマスタしてきたかをお話しました。
今日は、ベストドクターに戻って、自分への自信と殻に閉じこもる事の怖さについて最近感じていることをお話したいと思います。
第1回目で手術に失敗されたり、誤診されたりしたことについて感じた事ですが、医師も同じ病院でずっと長く研修・治療にあたることはマイナス面が大きいのではないか?ということです。
同じ病院に、特に一人でいると知らない間に自己流に満足し自信を持ってしまう。
しかも、知らない間に時代に取り残されていることにも気づいていない。
典型的なのが『小説 白い巨塔』の財前五郎ですね。
象牙の塔の中でずっと働いてきて鼻持ちならない傲慢さを持ってしまった。
医局員は誰も逆らえず、親身になって意見しくれる親友里見助教授の忠告も聞かない。
こうなるとどんな名医でも医療過誤はいつ起こってもおかしくないと思います。
これが、複数の医師や看護師の中で働いてもまれ、駄目出しされたり、他の医師の技量に驚愕したりすることで、「自分だって失敗するし絶対ではない。」「常に学び続けないと最先端ではいられない」という自覚と謙虚さが生まれると思うのです。
第1回目で書かせていただいたベストドクターからも「私も結石を取り残すことはあります。」という言葉を聴きました。
繰り返しますが、相田みつを先生がいうように我々はみんな神様じゃないんです。人間なんです。
TVで視る「神の手を持つ外科医」といったドクターの中には「絶対大丈夫です。成功しますから」と手術前に患者に言う人が何人かいますが、大丈夫かなというか危険だなあと思うのです。
一つの失敗で大きく崩れてしまうのではないかと。
現に裁判を起こされた医師もいますし。
どんな名医でも失敗はします。(参考ページ 上山博康医師 手術失敗も「放映を」)
以前ある雑誌で、札幌医科大学脳外科の「手術に関しては北海道で右に出るものはいない」といわれた、当時脳外科教授選を争っていた宮崎雄二助教授に、日本最初の心臓移植手術で裁判となった和田寿郎教授が「今までで何人殺した?」と聞き「5人です」と答えたら笑いながら「そんな訳ないだろう。5人で一人前になれるわけないだろう。」と話したと書いてありました。
要は「あまり自信を持ちすぎるなよ」「少し肩の荷を下ろせよ」と言いたかったでしょうねえ。
以前私が進路相談をした運命鑑定士の斎藤聖峰さんが「人間は煙突や自動車のハンドルのようにどこか抜けているというか余裕がないといけない」と『相性の神秘』という本に書いていますが、そういうことだと思います。
教育業も自信過剰は禁物
これは私のような教育サービスを担う者も同じですね。
実は11月から大手のプログラミングスクールでも何人かの生徒さんを受け持ってZOOMでのオンライン授業を実施しています。
これも医師と同じで、自分のスクールの中で閉じこもってはいけないと思ったからです。
多くの医師が複数の病院で診察・治療を受け持っていますよね。
ですから「自分のやり方は絶対だ。最先端だ。」「他は間違っている」「自分だけが第一人者だ」と思ってはいけないと強く自戒しています。
画家も同じで、出来るだけ多くの業界関係者や一般の人に観ていただいて、褒められるだけでなく駄目出しされる機会を持たなくてはいけないと最近感じています。
〇〇会会員などになって内輪で批評し合い褒め合っていると、もう成長は見込めません。
世界的に活躍している美術家も医師もアメリカなど外に外にと出て行った人達ですよね。
ですので、以前から札幌で現代アートの会員制団体を作るように有名な画商さんからもアドバイスいただいていますが、来年は早々に是非作りたいと思います。